山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     壊れゆく我が平和主義

2010年12月16日

中国漁船が尖閣諸島付近の日本領海で海上保安庁の巡視船に衝突した事件の映像が公開された。それまで中国側は映像が公開されないことを前提にすべて悪いのは日本側だと敵意を剥き出しにしていた。しかし、この映像公開をきっかけに中国側に反論の余地がなくなった。映像を公開できなかった政府に代わって勇気ある海上保安官に拍手を送りたい。

この問題で、逮捕勾留されていた中国人船長を那覇地検が釈放した。しかし毎日新聞は12月6日付朝刊のトップで菅政権は「法律にのっとって粛々とやる」と発言したが、不法侵入(公務執行妨害)の罪を問うこともなく突然船長を釈放したのみならず、船長を釈放する直前の9月24日午前、仙谷由人官房長官が在中国大使館、孔鉉佑公使に「本日、釈放されますのでよろしく」と電話を入れたと伝えている。

これは、「検察独自の判断」と明言してきた仙谷氏が国会や記者会見で国民にウソをついたことになる。船長の釈放は那覇地検ではなく、真相は仙谷氏らによる周到に仕組まれた政治判断であることが明白となった。今や仙谷氏は、見え透いた小沢潰しや権力濫用が目立ち、国民の嫌悪感は顕著である。

幻に終わった尖閣の石油試掘

さて、問題の尖閣諸島は1972年に琉球諸島の一つとして米国から返還された。しかし、国連アジア極東経済委員会が尖閣諸島の周辺調査で石油と天然ガスの埋蔵量が豊富だと発表した。翌年の1971年12月、中国は突然領有権を主張し、急いで自国地図に明記した。

1973年、わが国は民間企業の東洋石油開発株式会社が尖閣で石油資源の試掘を行うため、島の所有者である沖縄在住の大見謝恒寿氏から先願権を取得。社長の荒木正雄氏は尖閣での石油試掘許可を求め、政治家、外務省、通産省等に何百回にもわたり試掘許可の説得を試みた。

しかし、彼らは話を聞いてくれるが、試掘については慰留するばかりで、メディアも一切取り上げてくれなかった。荒木氏は30年に及ぶ交渉の末、「外務省はわが国の安全と国益を守る行政機関ではない」と悟るに至った。

中国を神格化する外務省の闇

ある外交官が中国の新聞インタビューで、「領有権で問題になっている尖閣は個人所有であり、日本、中国、台湾が争わないようこの島を国際入札で売却するかもしれない」と答えた。外交官らは、事を荒立てないのが大人の外交判断であり、自分たちの延命策であると考えているのか。

わが国外交官の中国への恐怖心は尋常ではない。外務省が機能不全に陥った理由の一つはチャイナ・スクールの存在である。これは外交官の出世コースとされ、中国大使への登竜門だ。チャイナ・スクールでは、中国側が気に入る反日思想と対中隷属に従順な外交官が平然と養成されている。これらの卒業生が日中関係の窓口となれば、「反日親中」の外交姿勢になるのは、ごく自然な成り行きだ。藪中三十二氏(外務省外務事官)は先頃のNHKのTV番組で「外務省は他の省庁に比べて非常に上手くいっている」と述べていたが、何が上手くいっているのか、言葉を弄んでいる。

外務省は「わが国の安全保障」上の仮想敵国である中国寄り機関だと考える人が多い。1972年に尖閣諸島付近で試掘できたはずが、既成事実を作らなかったのは外務省の判断ミスであり、今日の事態を招いた要因であった。

議員の訪中は有害でしかない

わが国政治家も中国の外交ペースにすっかりはまり込むこともある。たとえば、彼らが訪中すると中国当局の役人があれこれ世話を焼き最高の中国料理と紹興酒でもてなし、要人との記念写真を撮ってくれるなど気分は最高だ。

しかし、彼らの滞在中、行動の自由が制限され中国にとって都合のいい情報と表層的な事象しか目にできない。「この世は誤解と錯覚で成り立っている」と言うが、中国側の一方的な話を聞けば聞くほど便利主義で、こんな馬鹿げた話はない筈だ。理念と目的なき訪中は誤解と錯覚を招く有害な旅だ。

外交下手の外務省

わが国外交は目的と理念、責任なき場当たり的な行動が他国に付け入る隙を与えている。尖閣問題は、1972年頃外務省や通産省が東洋石油開発に試掘の許可を与え既成事実化していればこんな問題を引き起こすことはなかった。わが国の外交はいつも後手に回ることで失敗を繰り返し、国民の尊い生命や財産をないがしろにする懲りない面々だ。かつての大東亜戦争は300万人の命が散っている。

わが国政府は米国との関係で異常なほど繊細な神経を使い、戦争を食い止めるべきであった。今日に至るも外交下手で国益を損じ、北方四島返還のチャンスもみすみす見逃し、竹島も韓国にとられている。尖閣問題は中国が国家をあげて宣戦布告しているが、仙谷由人官房長官は国防の砦である自衛隊を「暴力装置」と小馬鹿にする始末だ。仙谷氏によれば左翼勢力へのリップサービスであろうが、自衛隊の存在なくして誰がわが国を守ってくれるのかに答えていない。

外交とは自国と他国との国益を平和的に調整する仕事である。しかし反日を武器とする仙谷氏ら過激派たちは、かつての戦争を悪と断罪し、自衛隊を「暴力装置」と弄んできた。仙谷氏の発言と行動は左翼政治家であるかに見せかけ、左翼を利用する政治家だ。このような人物を野放しにしてよいのかと日を追うごとに不信の声が拡がりを見せている。

平和外交というまやかし

鳩山元首相が、日中「友好の海」と言い、左翼勢力が「平和主義」を掲げて国民をごまかせたのは、米国が守ってきたからだ。友好とか平和の定義とは、国と国との関係において生じる政治的、経済的、人道的な摩擦であり、これらの難問を解決した者に与えられる勲章である。日中間に横たわる平和と安全は、中国側が覇権主義を唱え、わが国の領土に非道徳的なルールを一方的に持ち込んでいるのに何が平和と友好か。今後中国の対日姿勢は威嚇による軍事力の行使に及ぶことも想定されよう。わが国の護憲と平和主義で、国家を守るという安易な意識からの脱出が先決だ。

今後日中間で尖閣を巡る紛争がかまびすしくなろう。外交とは武力紛争を抑止し、予防することが最大の使命である。わが国では戦後教育や政治の場で、平和国家、平和外交、平和憲法、平和運動、日中友好、友好の海など平和論が平和と安全を取り繕って来た。国家間の平和外交とは軍事力の強弱が前提であり、最初から平和を目的とする概念はいかなる国家間にも存在しない。

国民の安全と利益を放棄する政治

わが国の外交不在は護憲と軍事力の縮小が平和の条件であった。菅政権の政治主導は米国離れと中国への隷属外交を誘導する政策が鮮明だ。これでは、最初から外交も軍事力も放棄することが前提の外交ではなかろうか。政治にイデオロギー思想と革命政治を持ち込み、政治主導を強行すればずるずると国家を溶解させる劇薬政治に他ならない。

つまり、菅内閣は旧社会党の残党、仙谷由人官房長官主導による変質的な政治行動が国民を不安に陥れている。彼らにとって都合の良い便利主義を国政に持ち込み、国民の安全と利益をないがしろにするものだ。このような国益を除外したイデオロギー政治や中国の圧力に屈した政治がアジア諸国の期待を裏切って来た。アジア諸国はわが国の対中対応をアジアの平和と安全の防波堤と見ていよう。

ここに来て、菅政権は「武器輸出三原則」を見直すという。これは「防衛計画大綱」の柱であるが社民党と連立を組む条件として先送りした。菅政権は国の安全より政局を優先する党利党略に他ならない。これでは世界の信用を失うばかりだ。

米軍は尖閣を守らない

米国はこれまで尖閣問題に関して沈黙を守って来た。これは民主党が反米政権であり、沖縄米軍基地撤去は中国側の圧力、メディアの反対、左翼の潜入で身動きできない。菅政権が、米国との強い信頼関係を破壊しようとし、反米国家の態度を見せ始めたことで中国、ロシアの軍事的圧力がわが国に向けられている。

戦後、日本の平和は米国の武力に守られてきたが、今後尖閣諸島を本当に米軍が守ってくれるか否かがわが国の運命を決しよう。民主党は日本の安全と世界の安定を危うくする導火線であり、中国寄りの危険な政党だとの実態が露呈しつつある。

尖閣諸島問題で今後中国は漁船から艦船を出動させ、海上自衛隊の艦艇にロケット攻撃を仕掛ける事態も想定されよう。その場合、民主党はどう対応するのか危険な場面が見えて来る。これまで米軍は尖閣問題にはタッチしないとの見方もあった。しかし、来春行われる日米共同声明の内容に日米同盟の意志が表明されるが、アジアの命運を決する声明に注目されたい。

次回は12月24日(金)