山本善心の週刊「木曜コラム」 今週のテーマ     人望なきリーダーの末路

2011年09月21日

「菅直人首相はよくがんばっている」。菅首相は、自らの延命のために「首相は絶対に辞めない」と公言しているが、これまでこのような発言をした首相がいたであろうか。政治家としての菅首相が理念や哲学、政策に欠けると批判されたり、無能ぶりをマスメディアに叩かれようとも動じないしぶとさがある。これは、これまでの首相には見られなかった現象だ。

聞くところによると、本人は首相だからこそ風当たりが強く、批判されるのは人気の内と考えているらしい。菅首相は重要ポストには息のかかったイエスマンで固めているので、悪い情報は入ってこない。菅首相に近いある議員が言うには、「本人はよくがんばっている」と錯覚し、周囲も持ち上げているので本人は辞める気などさらさらないと言うわけだ。

政治家は喧嘩上手がよいと言われるが、これは政局をうまく切り抜ける極意である。喧嘩の下手な政治家は外部から叩かれると守る術を持たないのですぐに辞任・解散だ。その点、菅首相は市民運動や平和運動で鍛えられてきた。野党時代は政府批判で喧嘩強さを見せている。つまり、反国家イデオロギー思想を持つ筋金入りの攻撃型政治家との印象が強い。

被災地での頼りない対応

しかしながら、ここにきて菅政権が統一地方選で敗北、12の知事選で推薦候補の当選はゼロ、41道府県議選も大幅議席減で惨敗を喫した。さらには東日本大震災後の対応では、原発事故への対応のまずさが致命的だ。しかも、大震災が発生して以来、官邸は機能不全が著しい。震災から一カ月が経過し、安否不明者は1万4千人、避難民は16万人以上にのぼるといわれている。

岩手県相馬市で働くボランティアの話では、震災直後水と食料がなかなか届かないと悲痛な声があがっていた。現地では全国から善意で集められた水や食料、毛布、日用品などを満載したトラックが列をなして並んでいたが、被災者にはなかなか届かなかった。

ゲートを見張る警察官に「なぜ、現地に食料を運べないのか」と抗議しても、彼らは「政府の指示ですから」と通してくれなかった。これは頼りにすべき政府が食糧援助をストップしたとしか見られず、被災者への対応を拒絶した異常事態との声もあった。

菅・仙谷はいまや険悪な関係だ

東日本大震災で身動きできなくなった菅首相は仙谷由人氏を(3月17日)官房副長官に復帰させる。仙谷氏は震災後の官邸の機能不全に驚き愕然とした。仙谷氏はこれを打破するには大連立しかないと考え、自民党の大島理森副総裁らと模索する。この動きを察した菅首相はいきなり谷垣禎一総裁に電話を入れて直談判する。

自民党から出された大連立の前提条件は菅首相が首相から降りることであった。これは延命策しか頭にない菅首相にとっては絶対に呑めない条件であり、この大連立案は立ち消えになりつつある。一方、仙谷氏は菅首相に限界を感じており、本音は菅降ろしだ。仙谷氏は菅首相を見限り後釜に頑固な原理主義者である岡田克也氏を推そうと画策中と聞く。

政権の延命しか頭にない菅首相にとって、仙谷氏は味方から敵に転じた。菅首相は仙谷氏の動きに神経を尖らせ、疑心暗鬼といったところだ。しかし、仙谷氏にしてみれば、菅首相は自分たちが担いで首相にしたとの思いが強い。いまや二人の険悪な関係は収拾がつかない。

小沢氏、倒閣に動く

二人の熾烈な内輪喧嘩を傍で見ていた小沢一郎元代表が、ここぞとばかりに菅降ろしに動き始めた。小沢氏は党員資格を停止されているが、郷土の復興政策や事業の立案に関与できなければ、政治的な失脚も招きかねない。小沢氏の選挙基盤である岩手県の惨状は目を覆うばかりだ。小沢氏は水面下で小沢系議員を集め、菅降ろしを始めた。しかし小沢主導の菅降ろしでは広がりが見られまい。

一方、菅・仙谷氏は非常事態になったとはいえ、小沢氏と手を組む考えはない。菅首相は『脱小沢』を政策目標に掲げて世論を味方とし、政権浮揚を図ってきた経緯がある。しかし、菅・仙谷路線は政治を政局と考え、党利党略、個利個略に執着した。政治は国家国民のためにあるという王道から大きく外れている。

大連立構想は菅首相の延命策と述べてきた。仙谷氏も岡田氏を立てて政治権力を再び掌握しようと目論んでいる。こんな彼らの正体は既に見透かされているが、これでは小沢氏が復帰するチャンスを与えるようなものだ。小沢氏は「政治家が最後に責任をとる覚悟を持てないのであれば、なんのための政権交代だったのか」との意見を述べている。

人望なきリーダーの末路

原発事故は菅首相にとって政権浮揚の最大のチャンスであった。被災地復興の実現にあらゆる対策や機関を設置したが、結局掛け声だけで機能していない。ここにきて、民主党内からも菅首相降ろしの嵐が吹き荒れる予兆が見えてきた。

首相には国家国民の平和と安全、幸福のために働くという見識、意気込みが感じられない。菅降ろしの野党が不信任を提出すれば小沢グループも同調すると言っている。

今、民主党内では菅首相側に所属する議員が菅首相を不審に思い始めている。最近の菅首相は自らの保身ばかりが露呈し、覇道政治が露骨だ。「結局、菅さんには人望がないんだ」。民主党議員の一人は筆者に電話でポツリと呟いたひと言が頭から離れない。

宰相の器とは

わが国社会では「人望」こそがリーダーの絶対条件だ。これは、立派な人に対して人々が寄せる尊敬や信頼、期待である。わが国では「人望」がない人だと言われたら反論のしようがない。しかし現今、この「人望」のあるリーダーが少ないのは残念なことだ。

わが国は封建時代を経て、明治時代には近代社会を形成してきたが、基本的には階級社会であった。これまで学歴や家柄、大企業などがエリートとされ、社会も一目置いてきたのである。このエリートラインに乗っかったものが昇り詰めてリーダーに選ばれる傾向が強いが「人望」に欠ける人が多いのはなぜか。

今日のように世界がグローバル化し、自由と民主主義によって平等主義的な傾向が強くなるとリーダーの「人望主義」への期待が高まる。政治家に対する「人望」はその政治家が持つ理念と政策であり、それを実行する能力への信頼に他ならない。しかし、菅首相にはこれらの条件に見合う資格が見当たらず、無礼、粗暴、尊大な面が印象強い。

人気ばかりのリーダーが持つ宿命

政治家にとって人気は大切な条件である。しかし、いくら人気があっても「人望」がなければ人気はやがて失われよう。かつて1967年から12年間、圧倒的な人気に支えられた美濃部亮吉元東京都知事は、作り上げられた虚像であった。美濃部氏を取り巻く身近な人からは人望がなかったが、周辺地域の都民には絶大な人気があった。

一方、同じころ、神奈川県知事であった長洲一二氏は人気はなかったが、堅実な県政を守り続け、財政破綻することもなかった。また、知事としての「人望」も厚く、職員は長洲理念を理解した。

同じリーダーでも「人望」なきリーダーが取り組んだ東京都政は財政赤字を垂れ流し、「財政破綻」をもたらしている。人望なきリーダーのやることは人気に応えるため、都民に対するリップサービスに明け暮れた。青島幸男、美濃部亮吉、横山ノック氏らは人望がなく人気だけで知事になったが、結局は絶大な権限を行使して無駄遣いを乱発しただけであった。

菅氏はよくがんばっている

政権延命のためにがんばってきた菅首相だが、民主党内の一議員から発せられた「菅さんには人望がないんだよね」のひと言は名言だ。かつての美濃部亮吉、青島幸男氏らのばらまき都政を連想させるに十分だ。菅政権の政策は子供手当をはじめとした歳出のばらまきと増税で国民の人気取り、媚を売る政策に他ならない。

民主党が掲げてきたマニフェストや裏政策はばらまきだらけだ。年々財政赤字が拡大する中、ばらまき法の改正はどうにも止まらない。無能な政治家が政権延命のために居座り続ける現政権の実態に国民の我慢も限界に達しつつある。

巨大地震を機に、菅首相の宰相としての器が改めて問われている。大連立の動きも自民党に断られ、お粗末な危機管理も露呈し、菅降ろしの声は拡がりを見せた。行き着くところ我が身の保身ばかりで、国家観なき政治家に「人望」などある筈がない。それよりも愚かな国民が選択した民主党の菅政権を批判する資格があるのかと問われれば、前衆議院選挙で民主党に投票した筆者は「菅首相はよくがんばっている」と言い訳せざるを得ない。

次回は4月28日(木)