台湾総統選挙が来年1月14日に行われる。これまで再選を狙う中国国民党主席の馬英九総統が優勢と伝えられてきたが、ここにきて、野党民主進歩党(民進党)の蔡英文主席が奮闘中だ。さらに親民党の宋楚瑜主席が出馬宣言し、三つ巴の戦いが始まった。最近台湾テレビ局「TVBS」の世論調査では馬英九39%、蔡英文39%、宋楚瑜6%と伯仲している。ネット世論は圧倒的に蔡英文氏だ。
中国時報や聨合報をはじめ、国民党系有力紙の予測は馬英九氏が断然優勢で蔡氏を引き離しているが、最近は控えめだ。というのは、馬氏が「中国と平和協定を結べるか10年以内に検討する」と発表して以来、馬氏の人気が失速し始めているからだ。
台湾住民は中国との「平和協定会議」を開催することは、「一つの中国」問題を話し合うことだと解釈している。民進党側も政治的な立場からこれは“中台統一の話し合いだ”と批判した。馬氏は総統就任以来、経済関係で中国依存を強化してきたが、台湾住民は経済より政治会談に関心が向いている。
馬氏の平和協定案に台湾住民は猛反発か
これまで台湾の世論調査結果が国民党側に有利な「情報」しか伝わらず、信憑性に欠けるとの疑問を投げかけた。中国系世論調査機関が一度だけ「蔡氏が優勢」と本当のことを書いたため、担当記者がクビになった。彼は職を失い「ウソは最後まで貫き通すべきだった」と反省しきりだ。
実際のところはこの記者の言う通り、当初は馬氏が優勢であったが、①中台の平和協定案の検討発言②宋氏の出馬③中国観光客のマナーの悪さと非道徳的行為が台湾住民の反感を招きつつある。馬氏にとって、中国観光客の大量誘致は有権者の支持を得られるどころか、結果は逆効果だ。以下、馬氏の支持率低下の要因について述べてみたい。
一つは、馬氏が中台の「平和協定会談」を検討するとの発言である。これは台湾住民の機微に触れる問題だ。台湾人は80%以上の住民が独立なし、統一なしの「現状維持」だ。中台経済が発展することは歓迎するが、「中台統一」には断固として反対である。これらの発言で、馬氏の人気が一気に下落したことは、台湾人の拒絶反応に他ならない。馬氏を総統に選んだのは経済の健全な共存発展であり、平和協定ではなかった。
宋氏出馬は馬氏に不利
二つ目は、「宋氏の出馬表明」である。なぜ、宋氏は総統選に出馬したのか。無謀だとの意見もあるが、立法院選挙で親民党は12名が地方区で出馬する。しかし、宋氏は総統選に出馬すれば馬氏が不利になると判断した。これまで総統になって以来、馬氏は宋氏に重要なポストも与えず、全く無視してきたのである。宋氏の立候補は馬氏に対する怒りと怨念であり、リベンジと言ってもよい当事間の事情があった。
仮に立法院選挙の地方選で親民党が3議席確保すれば一つの会派を結成できよう。そうなれば宋氏が政界のイニシアチブを取ることも可能だ。民進党の躍進に加えて与野党議席数の拮抗が予測される。そうした中にあって宋氏の中間派としての役割は大きい。宋氏の出馬は馬氏にとって致命的な結果をもたらすであろう。
しかも、宋氏は総統選出馬に際して、「馬氏が不利になっても、蔡英文氏の票は奪わない」と言っている。親民党の基礎票は中国系住民が多い。加えて宋氏は中華民国憲法は「中台統一」であるから、憲法を遵守して中台は統一すべきだ」と馬氏を追い詰めた。馬氏にとって宋氏は目の上のたんこぶであるが、これまで粗末に扱ってきた結果である。
世論を操作して台湾併合を目論んだ中国政府
2008年7月、中国は台湾への団体旅行、その後個人旅行を解禁した。それ以来、中国観光客が急増。昨今の台湾観光客は過去最高の557万人で、そのうち中国からは117万人が訪台した。中国交通部観光局の発表によれば、今後中国人観光客は600万人の達成を目標にしているという。
当初中国政府の“中台統一”は経済交流を拡大して相互依存を促進する方針であった。それには馬政権が2期8年務めれば政治会談で統一に向かうとの戦略だ。一方、台湾住民は事の成り行きを見つつも危機感を持ち始めていた。
中国の台湾攻略は、まず、台湾人に中国への好感度、親近感を抱かせることである。次いで中国への警戒心を解くために台湾メディアに資本投資して世論をコントロールすることであった。マスコミは対中融和に理解を深める世論造成の不可欠な道具として使った。さらに中国の民族舞踊団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行うことである。
次に、台湾世論が中国に好感を持ち始めたところでイデオロギー活動を行う。そのうえで平和的協定の政治会談を行えば戦わずして台湾を手に入れることができるとの前提で台湾工作を進めてきた。
しかし、現今中国ペースで事が運んでいるとは思えない。
裏目に出た大量の中国人観光客
台湾住民にこんな中国頼りの経済政策一辺倒はいつかは破綻するとの疑問が出始めている。一方で、中国人観光客のマナーの悪さに辟易し、「こんなマナーの悪い中国人と“一つの中国”案は到底同意できない」との声が噴出し始めた。街を歩く中国観光客は大声を張り上げながら食べ物を街中に捨てる。こうした中国人の品の悪い行動に、市内の様子や雰囲気が少しずつ変わり始めた。ある中国人観光客の宿泊するホテルでは、トイレの便器の周りに排せつ物が飛び散り、悪臭を放ち、清掃に三倍の労力がかかるようになっている。店先の行列に中国人が割り込んでくるなどは日常茶飯事だ。
中国側の経済やカネで台湾人の欲望をそそるとの戦術は反発を招きつつある。こうした中で、馬氏の中国一辺倒政策に対する誤算と批判が出始めて何ら不思議ではない。
馬氏に不利な状況で支持率低下
昨年訪台の折、台湾中小企業経営者の大勢が馬氏を支持していた。これまでの経済拡大策で馬人気は確かに支持されたと記憶している。しかし、ここにきて、馬氏に不利な状況が生まれつつあるのだ。これは馬氏の対中関係拡大策に対して台湾人全体の評価がノーに変わりつつあるからだ。馬氏は中台間の交流で経済が拡大したと誇大に強調するが、台湾住民はその裏に潜む台湾統一という動きに敏感である。
このところ台湾を取り巻く国際情勢が大きく変化の兆しを見せている。最も大きな要因は頼りにする米国が東・南シナ海の安全保障問題を真剣に取り組み始めたことだ。しかも、TPP問題は中国外しであり、東・南シナ海で対中連合軍との結束、協力関係の構築と安全保障体制の枠組みづくりである。中国は世界から包囲網が敷かれ、孤立化の道を歩ませるのが米国の戦略だ。しかも中国は国内の混乱と経済低迷から、国家としても衰退過程に入った。
一方、中国政府の馬政権に対する不信と不快感が表面化しつつある。中国は馬氏の軽率な発言と行動に不信感を持ち始めた。中国政府の台湾担当官、楊毅報道官は馬氏に「政治操作を許してはならない」と言い、住民投票発言は中国が裏で糸を引いたと思われかねず、不快感を露わにした。馬氏は台湾住民や中国政府からも批判の的にされようとしている。
馬政権の誕生は台湾人を覚醒させた
このままでは、台湾総統選はかなりの大差で蔡英文氏が当選する可能性が高い。一つは、馬氏が平和協定案を検討すると発言、二つ目は、宋楚瑜氏の出馬で馬氏の中国系票田が喰われよう。そして三つ目は品性なき中国人観光客への嫌悪感等が、馬氏離れを引き起こしていると述べてきた。それに比べて蔡英文氏は民進党候補として頼りない、未熟だ、経験不足などと言われてきたが、最近は政治家としての成長ぶりが著しい。メディアの蔡氏叩きに、国民にわかり易く「正心、正言、正行」の姿勢で対抗している。
これまで中国は農産物の大量購入などで台湾南部の農民を喜ばしてきた。しかし、ここにきて中国の農漁村への見え透いた浸透工作に警戒感を強め、「中国の購買力を頼りにするよりも台湾農業をどう守るかが大切だ」との良識ある意見も出てきた。馬政権の誕生によって、 “一つの中国”という統一政策が露骨に見え隠れする中で、逆に台湾人の警戒心が呼び覚まされたといえよう。
中国共産党の一党独裁政権と“自由と民主主義、人権と法治”を尊重する国と合体することがいかに難しいかは、馬氏のおかげで台湾人は目覚めつつある。中国はルールと道徳性に欠ける民族であり、念頭にあるのはおカネだけだ。中国的な発想や行動は台湾住民にとって“平和と安定、着実な繁栄”をもたらすものではない。馬氏の大きな功績は台湾人に危機意識と国家への自覚を促すものであった。台湾人が22年間、ついに勝ち取った「民主化」という宝物が機能し始めたといえまいか。
次回は12月29日(木)