5月18日から毎年恒例の時局心話會「海外研修会」が韓国のソウルで開かれた。講師には黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在特別記者)と柳相榮(延世大学教授)のお二人を迎えて「韓国の政治・経済に関する最新情報」と題して韓国経済の現状、次期大統領選の行方、格差問題、黒田氏からは「従軍慰安婦」問題などを本音でしかも生々しい状況を伺うことが出来た。
今わが国では韓国の日本大使館前に慰安婦碑が設置されて大問題になっている。また5月5日ソウル市内に「戦争と女性の人権博物館」という新しい慰安婦会館がオープンした。一方、米国ではニュージャージー州パリセイズパーク市(韓国系米国人が人口の52%)で「慰安婦碑」が設置されている。この市では「日本軍が20万人の若い韓国女性を拉致した」とする碑文が刻まれている。これは中国の「南京大虐殺30万人」より控え目の数字であるが、これまでになかった新説が登場した。
今、慰安婦を巡る事実と根拠のない歴史観が結論ありきで独り歩きしている。我々一行は記念館に行き記載内容を精査したが、そこには5、6人の慰安婦の写真が飾られていて「彼女たちはビルマ、ニューギニア等東南アジア諸国の日本軍戦地に連行された」と記されていた。それ以外には会場内に慰安婦碑が一体設置されていた。
また、大使館前の慰安婦碑は道路を挟む真向かいにあるがパトカーが横付けされるなど物々しい警備で緊張感を盛り上げている。一方、我々はソウル市内の若い人たちや一般の人たちに慰安婦のことを尋ねたが、ほとんどが無関心で記念館の設置も知らないと答えていた。
また、韓国の有識者の意見も明快な答えが返ってこなかった。韓国内では慰安婦問題には全く関心がないという印象が強く、韓国の新聞もほとんど取り上げていないと見てよい。ただはっきりしていることは、歴代首相による「おわびと反省」に加えて「アジア女性基金」を通じて韓国側関係者らに「金銭支給」を行ってきたことだ。これが韓国との「関係悪化をさせない」秘訣との外交姿勢が読み取れる。
もともと慰安婦に関するネタ元は日本発であった。日本側から捏造された歴史観を根拠にして報じる韓国マス・メディアとの関係が事態を複雑にしている。記念館のオープンには「日本建設委員会」が支援した。この記念館の意図が透けて見えるのが稚拙で、日韓関係者の出来レースだとの見方もされている。
韓国に慰安婦志望の女性はあふれていた
ソウルの慰安婦記念館では、当時の日本軍が若い韓国女性を連行し慰安婦にしたと記述されていた。女性を拉致し連行しなければ慰安婦が集まらなかったのか。当時の芸娼妓斡旋人の記録を辿れば、「とんでもありません。昔から朝鮮半島は慰安婦の一大生産地だったんですよ」と記載されている。『春窮』といわれる朝鮮の端境期に食糧が底を尽き、生活に困窮し、娘を売る貧農家庭が多かった。
わが国にも「東北大飢饉」があり、韓国の『春窮』と同じく家計の苦しい東北地方の娘たちが斡旋人に売られていくケースが多々あったのである。東北地方の寒期は降雪に見舞われ、娯楽に乏しく、楽しみは性行為であり避妊具が発達していなかったため、子だくさんの家庭が多く家計を圧迫した。
当時をよく知る人たちによれば「強制連行などしなくとも一家を支えるため慰安婦を志願する若い女性がたくさん集まってきた」という当時の資料や記録がある。そこへ支那事変が始まったとの報が届き、斡旋人や慰安婦たちに一攫千金のチャンスが到来した。軍隊相手の商売は金払いがよく客は途切れず、しかも軍が性病の検査もしてくれるので慰安婦にとっては大歓迎であった。
慰安婦確保の背景は公娼制度
軍人らは血気盛んでエネルギーあふれる精力旺盛な若者たちである。いかに忍耐強い精神教育が徹底されても人間の本能である性の衝動を抑制することは容易なことではない。それゆえ、彼らの欲望を放出し処理する機能がどうしても必要であった。それが「公娼制度」である。日本国軍人が占領地の女性を強姦した証拠が無きに等しいのは「公娼制度」が機能していたことに他ならない。
とはいえ支那事変以降、大量の軍隊が移動する占領地の中には慰安婦が不足する戦地もあった。戦地の状況が悪く気候の厳しい地域に関しては、斡旋人は慰安婦を集めるのに苦労したのである。そこで彼らは知恵を絞ってあの手この手で言葉巧みに慰安婦らを誘ったに違いない。中には悪質な斡旋人もいたであろう。戦争中の出来事だから何があってもおかしくない。
韓国軍はベトナム戦争で一般人を相手に強姦や村ごと焼き尽くすなど暴虐の限りを尽くした。わが日本軍が戦地でそんな大事件を引き起こす必要がなかったのは「公娼制度」のお陰である。当時中国に駐留する日本軍の軍律の厳しさに英国軍が感銘し「日英同盟」ができたくらいである。わが国の民族性は東日本大震災で立証されたが、世界で最も道徳性の高い世界の模範国であることが我が民族の誇りであり自信でもあった。
戦地での慰安婦の活躍状況
わが国の「公娼制度」は国内外の治安と兵士の欲望を抑制する大きな役割を果たした。もし慰安婦がいなかったら若い兵士たちは暴走し、占領地の住民に多大な迷惑をかけたかもしれない。戦場での「公娼制度」は若い兵士の本能を合理的に処理できる唯一の知恵であった。
公娼、私娼を問わず、慰安婦は日本人が半分で、そのほかは朝鮮、支那、満州人たちである。先に述べたが、支那事変勃発後、日本軍は戦地移動の後を追って慰安婦の役割が拡大した。しかし、慰安婦らも激戦地になると命がけである。斡旋人たちは慰安婦を集めるためあの手この手で彼女らを説得したに違いない。兵士らは上官の命令次第でいかなる激戦地にも行くが、慰安婦らは危険地域を避けたのである。
軍は戦地での慰安婦の健康管理と性病予防にはことのほか注意を払い、軍医は定期的な検診を行った。軍が慰安婦に関与したとすれば、それ以外に食事の手配や慰安場の提供であったと思われる。食事はコッペパンが軍の主食であった。軍は斡旋人が言葉巧みに誘拐まがいの慰安婦募集を行ったことを軍が厳しく戒めたという記録も残っている。日本軍人が強制連行したとなれば即刻軍法会議にかけられ日本軍人は処罪された。
世界の兵士らの状況はどうであったか
では、他国の事情はどうであったのか。ソ連軍がドイツを開放した際、ベルリンでは80万人以上の一般女性が強姦の犠牲になった。さらに暴行死は7万人、自殺した男女は約6千人、220人の女性が梅毒で死亡したという当時の記録がある。ソ連兵は一般女性とみれば年齢に関係なく襲いかかった。
米軍はどうであったか。当時160万人の兵士がドイツに駐留し、ハイデルベルクの米軍司令部は、米兵による強姦事件に頭を抱えた。日本では敗戦後、米兵による強姦の発表は差し止められたが相当の数にのぼっている。わが国ではその対策として米軍専用の慰安所を急遽設置して事なきを得た。これも「公娼制度」がたくさんの若い一般女性を救ったのである。
一方、英国では性犯罪に関する資料に乏しく、告発例は少なかった。軍は英国兵から「梅毒感染を防ぐため現地女性に手を出すな」と厳命し、その代わり兵士たちにアルコールを自由に飲ませたのである。しかし、性の欲望には抗えず、流行したのが同性愛とマスターベーションであった。「戦争と性」は兵士にとって避けられない問題である。わが国の「公娼制度」は兵士の欲望を処理する最大の知恵であったことがあらためてご理解いただけよう。
さて、イラク、アフガニスタンに駐留する米軍兵士の性の問題はどうなっていたのか。例えば、2011年頃の一年間で起きた性暴力事件は1万5千件以上と言われている。米兵140万人のうち女性兵士は約20万人もいた。特にこの女性兵士が狙われて、毎日100件近い女性が被害に遭っている。性欲を抑制できない兵士らに「公娼制度」はあらためて世界が見直しても良いのではないか。
作られた歴史観に見直しを
従軍慰安婦強制連行説は作られた歴史的キャッチフレーズであり、日本国内に組織された反日勢力らによるデッチ上げとの見方が明白となっている。日本の関係者からは韓国で作られた歴史観を世界に喧伝し、全くデタラメな従軍慰安婦問題を既成事実化しようとした。その結果、今日に至るまで何の事実も根拠もない歴史観が独り歩きしたのが事の真相だ。
しかし、わが国は東日本大震災に見る「他人を思いやる、道徳心を尊重する」国民性を持つ民族であることが立証された。いまや良識ある国民からは、中韓の対日歴史観はおかしいと目覚め始め、歴史の見直しを求める声があちこちで上がり始めている。日本の先人たちが行った戦争と歴史を断罪することは、過去と共にわが国の未来をも貶めることに他ならない。
次回は5月31日(木)