わが国の教育現場では、これまで生徒の学力と体力低下、道徳心の欠如が指摘されてきた。こうした中で、教育問題に火を点けたのが大津市で起きた「いじめ自殺問題」であった。これまで教育現場の荒廃を招いた戦後教育の失策を問う声が指摘されてきた。青少年の将来を破壊する教育改革こそ緊急課題である。
戦後教育を悪くした真犯人は「日教組」との意見があるが、そのボスがいまや政権与党の幹事長だ。彼らが政治支配を行っているのに何とも思わない国民の神経はおかしいとの声もある。
すべての国民が物事の善悪に対して判断がつかなくなっているのではなかろうか。
わが国は戦後長い間教育の場で青少年の自立とか競争心、道徳心の重要性を教えてこなかった。それゆえ、何が正しくて何が間違っているかを判断できない生徒が大量に輩出されている。彼らは学校や大人たちから注意を受けたり、厳しく叱られたことがないので、自分の思う通りにしか行動できないのだ。また、他人への思いやり、教師への尊敬、国や郷土、親を尊重するという民族の基本的常識を持ち合わせていない。
あるのは、ただ強い自我だけである。それゆえ、他人から注意を受けたり、傷つけられたりするとどう対処していいかわからずに、突然キレたり、突飛な行動に出る者が多くなっている。一番の問題は教師と生徒の関係だが、いまや教師は生徒に媚を売る立場に逆転し、体罰はおろか、叱ることすらできず、教師の資格を喪失した。
教育基本法の狙いは平和の使者だ
なぜ、このような教育現場になってしまったのか。その本質を語れる教育関係者が少ないのは残念なことである。しかし、いまこそ、この問題を提起し、教育問題の根源をみんなで語る時がきたようだ。教育改革は歴代内閣が公約してきた問題であったが、何一つ成果らしきものはなかった。たとえば、中曽根内閣が最も力を入れた「教育臨調」は期待されたが、結局は何の成果もなかったと記憶している。
昭和22年3月末に施行された「教育基本法」は、米国の強い影響下で作られた。彼らは教育の目的について「教育は人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的な精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」とした。
つまり、「自由と民主」を旗印に、平和と人類の福祉に貢献する文化的な国民を作ろうというわけだ。これは一言でいえば、世界に向けた平和の使者になることで、教育本来の目的をすり替えている。
失われた日本民族のアイデンティティ
「教育基本法」の目的を読むと、たとえば、「世界の平和」「人類の幸福」など、なるほど、誰の目にも問題のない文言が並んでいる。しかしその実、民族固有の伝統文化であるとか、家族や故郷を尊重し、国を愛するという「愛国心の涵養」が教育の目的からすっぽり抜け落ちているのではないか。
勝田吉太郎氏(京都大学名誉教授)は「民主教育の落し穴」(善本社刊)の中で、「教育基本法には『個人の尊重』『人格の尊厳』他方においては『人類の幸福』『世界の平和』が説かれているが、そこには「民族」や「国家」というものがすっぽり抜け落ちている」と述べている。
さらに勝田氏は、「このような教育基本法を前提とする戦後の教育の場で日本人固有の問題が切断されてしまった。そして民族のアイデンティティが見失われてしまう傾向にある」との警鐘を鳴らした。25年前勝田氏は筆者に、こんな教育を続けていれば10年後、20年後「教育現場は崩壊し、日本の将来を背負う青少年がダメになる」と言われたが、その通りになった。なぜ、このような青少年による犯罪や非行が多くなったのか。
GHQの意向で排除された「教育勅語」
伊藤玲子氏(元鎌倉市議会議員)は、「政府はなぜ国民の税金で日本国家解体を目指す反体制闘争の日教組に大事な子供たちの教育を任せているのか」と訴える。今日に見る“いじめ犯罪”の原因はすべて生徒たちに規律、規範、道徳を教えず、“個”の尊重に重きを置いた日教組がその原因だと言って憚らない。伊藤氏は30年にわたって日教組の偏向教育と闘った人だ。
GHQは「教育勅語」の排除を指令し、衆議院は昭和23年6月19日と29日にこれらを可決した。この「教育勅語」は国民教育の基本理念を明示し、青少年らに等しく規範や道徳の根源を教えてきたが、法律で排除された。それゆえ、ルールを守るとか、礼を尽くすという道徳心が学校教育の場で失われた。それどころか、人間の精神性であるとか、道徳心、規律を厳しく教えるということがかつての戦争を呼び起こしファシズムになるとか、社会悪の象徴であるかのような風潮が社会を支配するに及んだ。
改正教育基本法が安倍内閣で成立
安倍政権は平成18年9月に誕生した。在任中のわずか1年間で「戦後レジーム(体制)からの脱却」を理念に掲げ、戦後の体制を根本的に見直す教育改革を行ったのである。
安倍政権は残念ながら1年後に退陣したが、理念と政策はいずれも驚くべきスピードで成立した。「教育基本法の改正」「防衛庁の省昇格」「憲法改正の国民投票法の制度」などは、歴代首相の中で誰もが成し遂げられなかった重要課題である。
なかでも特筆すべきは、約60年ぶりに「改正教育基本法」が可決、成立されたことだ。この「改正教育基本法」には「愛国心」「公共の精神」が教育目標として盛り込まれた。これらの法案が審議され、与野党が火花を散らす中、野党時代の野田現首相は安倍元首相を「戦後教育からの脱却という割に貧弱な法案ばかりだ」と罵った。しかし、安倍元首相による「教育関連基本法案」は平成19年審議入りし、可決、成立したが、これでわが国の教育はその流れが大きく変わるキッカケとなり、正常に歩み始める筈だった。
道徳や倫理教育の復活を
安倍元首相の「教育基本法」の改正に見る勇気と行動力はこれまでの政治に見られなかった成果である。安倍氏は「教育基本法」の改革をまるで当然のことのように実行に移している。恐らく安倍一族のDNA遺伝因子が本人の力以上に凄いパワーとなったに違いない。
これまで教育改革は国民の関心が薄いので票になりにくく、真剣に取り上げようとする国会議員は少なかった。安倍氏以外教育に熱心な議員は自民党の下村博文氏、山谷えり子氏くらいであろうか。彼らが安倍政権の「教育基本法」を成立させる下支えになった。今あらためて、安倍氏を支える国家観を持つ政治家が登場しつつある。自民党衆議院議員の新藤義孝氏であるが、領土問題を始め、国家国益のために奔走している。教育問題も厳しく指摘している。
安倍内閣時代のメールマガジンには「教育基本法への想い」として次のように書かれていた。
「教育問題に対する基本姿勢は『個人の権利や自由、民主主義や平和主義』といった理念は否定しないが、道徳や倫理感、そして自律の精神といったものについて教育はおろそかになっていた」。
教育改革へのゆるぎない信念が安倍元首相を突き動かした。国会議員は党利党略に明け暮れた時代から国家国益の理念が優先される時代に突入したのである。
安倍革命に期待を込めて
「教育基本法改正」に反対する野党4党を始め、反安倍勢力は総力を挙げて安倍内閣潰しを敢行した。しかし、彼らはこの法案を潰すのにあの手この手の策を弄したが、「教育基本法」の内容には踏み込むことはできなかった。仕方なく質疑が集中したのは「いじめ問題であり、高校の必修逃れ問題」であった。つまり、道徳や公共精神を否定し、愛国心や郷土愛に反対はできなかったのである。
とはいうものの、昨今、教育現場ではいじめ犯罪、校内暴力、偏向教育が蔓延し、年間16万件のいじめ犯罪が行われている。これは完全なる教育の破綻ではなかろうか。
民主党が教育問題の改革に関心がないのは、日教組が民主党の支持母体だからである。政治は野望と利権が交錯し、それぞれに反対する事情があることを理解している。しかし、教育の王道を踏み外さなかった安倍内閣の勝利は明るい日本の夜明けを切り開いた。いま、ここにきて自民党総裁選に浮上し再び脚光を浴びようとしている。いくつかのやり残した仕事を完結してもらいたいと願うが、本人もそう思っているに違いない。次は憲法改正だ。
次回は9月20日(木)です